ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の関係と違いを分かりやすく!
今日は、ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の関係と違いを分かりやすくまとめてみたいと思います。
なぜ仏教やヒンドゥー教を除いてこの3つの宗教を取り上げるかというと、この3つの宗教は実はどれも同じ人物(アブラハム)に起源を持つ親戚同士だからです。
目次
ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の関係
まずは、ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の関係を、下記の家系図から説明したいと思います。(図の出所:2019-01-28 – middle-east world)
この図をもっと祖先にまで遡ると、人類の祖先、アダムとイブにたどり着きます。
この図の一番上にいるのがアダムとイブの子孫であるノア(ノアの箱舟のノア)です。ノアの子孫にはアブラハムという人物がいます。このアブラハムには奥さんが二人いたのですが、それぞれの子供(図中のイサクとイシュマル)の子孫こそが、それぞれユダヤ教、イスラム教を創始しているのです。
つまり、ユダヤ教とイスラム教は、アブラハムの異母兄弟の子孫ということです!
で、そのユダヤ教に対して、独自の解釈を加えたのがイエス・キリストでした。
旧約聖書というのは、アダムとイブの物語やノアの箱舟、アブラハムのエピソードなど、3つの宗教にとっての祖先の話が載っていますので、3つの宗教すべてから聖典扱いされています。
一方で、新約聖書というのは、旧約聖書に対するキリストの解説書のようなものであり、キリスト教だけが聖典として扱っています。
ユダヤ教/イスラム教/キリスト教は、共通の祖先をもつ親戚のようなものということです。
ちょっと寄り道:イサクの犠牲
ちなみに、アブラハムとその子供の一人であるイサクは、旧約聖書上の物語である「イサクの犠牲」として有名で、芸術作品にもなっています。
15世紀のフィレンツェでは、この「イサクの犠牲」を題材にしてコンペが開かれたぐらいです。写真はコンペ勝者であるギベルティの作品(フィレンツェにある洗礼堂の黄金の門)。右列上から2番目が「イサクの犠牲」です。
(コンペについてはこちらのブログが詳しいです!:フィレンツェの洗礼堂、北扉に秘められた因縁の対決とは!? | フィレンツェガイド.net)
キリスト教の国であるイタリア・フィレンツェでも、旧約聖書の物語が題材としてあがってくるわけです。
ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の違い
ユダヤ教/イスラム教/キリスト教の違いを知るためのキーワードは、
です。
選民思想というのは、ユダヤ教の特徴です。「いつか最後の審判が開かれ、ユダヤ人だけが救われるのだ!」という思想です。
ユダヤ人は、エジプトやバビロニア(現在のイラクあたりにあった古代王国)といった周辺国家に支配されてきた歴史がありましたので、「自分たちは今は支配されているが、いつかは神によって救われるだろう」という信仰心が育ったのでしょう。
偶像崇拝/英雄思想というのは、キリスト教の特徴です。キリスト教は、教会に行くと絵や像がありますし、キリスト教関連の芸術作品もたくさん作られていますよね。救世主たるイエス・キリストをあがめるという偶像崇拝/英雄思想です。
写真は、キリスト教(カソリック)の総本山バチカンにあるシスティーナ礼拝堂のものです。キリストを中心にして、最後の審判を描いたミケランジェロの絵になります。
では、イスラム教は何かと言いますと、選民思想も、偶像崇拝/英雄思想もない宗教です。
特に偶像崇拝/英雄思想が無いのは、イスラム教のモスクに行けばわかります。
イスラム教のモスクには、英雄の絵や像はありません。幾何学模様があるだけです。なぜなら、イスラム教徒たちは、「神の姿など人間に分かるはずがない」と考えているからです。自分は無神論者で数学好きなので、神の存在を幾何学模様で表現するというのには共感できます。
(写真はトルコ・イスタンブールにあるブルーモスク。幾何学模様はありますが、人物像や絵はありません)
つまり、選民思想のユダヤ教(ユダヤ人だけが救われるのだ!)、英雄思想/偶像崇拝のキリスト教(キリスト万歳!)、幾何学模様のイスラム教(神の姿など人間にわかるものか!)ということです。
おまけ:カソリックとプロテスタントの違い
キリスト教の中にもいくつか宗派があるのですが、その中でもメインどころのカソリックとプロテスタントについて解説したいと思います。
ざっくり違いを書くと、
- 懺悔重視(悪いことをしても謝れば天国に行ける)
- 教会での活動が信仰活動のメイン(歌をうたったり、懺悔したり)
- 教会にはあまり行かず、聖書をよく読む
- 懺悔には価値を見出さない(謝っても天国には行けない)
- 天職(神から任された仕事)を全うすることが、天国に行くことにつながる。だから仕事を頑張る
という特徴があります。
映画で、教会に行って、変なボックスに入り、神父さんに罪の告白をするシーンがあると思います。
これはニューシネマ・パラダイス。(本当は神父さんに対して懺悔をする場なのですが、主人公のトトがずるをして懺悔をする場でヒロインからデートの約束を取り付けようとしているところ。詳しくは映画をご参照あれ)
こちらはゴッドファーザーⅢ。兄のフレドを殺したことを、ゴッドファーザーことマイケル・コルレオーネが神父に対して懺悔しています。
ニューシネマパラダイスはシチリアが舞台。ゴッドファーザーは主にニューヨーク等アメリカが舞台ですが、主人公の一家はシチリアからの移民です。シチリア、というかイタリアはカソリックの中心地ですので、このような懺悔のシーンが出てくるわけです。
プロテスタントが資本主義を生んだ
アメリカが大好きな資本主義は、プロテスタントから生まれたといわれています。
先ほど書いたように、プロテスタントというのは、天職を全うすることで天国に行こうとする人たちですから、仕事を頑張るわけです。それが近代資本主義の誕生につながったということです。(出所:M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)
最後に
以上、ユダヤ教/イスラム教/キリスト教(カソリックとプロテスタント)の違いと関係でした。
起源は共通(アブラハム)なのですが、信仰内容にかなり差があるということが分かって頂けたかと思います。
ウクライナ侵攻に関する日本メディアの報道は西側に偏りすぎ
ウクライナ侵攻に関する日本メディアの報道は西側に偏りすぎです。
例えば、日本の新聞のうち、読売新聞、朝日新聞、日経新聞を見てみましょう。
言っているのは、「ロシアは嘘つき。ロシアが悪い。ロシアに圧力をかけろ」だけです。
欧米のメディアも同じような傾向はありますが、例えばニューヨークタイムズ(以下、NYT)は、「NATOは無実の傍観者ではない」「ウクライナで男性が出国できないのは性差別だ」などと、NATOやウクライナのことも批判しています。
日本のメディアにはもっと、「ロシアが悪い!ロシアを倒せ!」だけでなく、NATOやウクライナに対する批判を含めて、多様な意見を発信してほしいと思います。
目次
記事紹介
いくつか記事を紹介したいと思います。
是非、NYTと日本の新聞とを読み比べてみてください。
NYTの記事
NYTの記事は少し詳しめに、二つ紹介したいと思います。
記事①:NATOに対する批判
まず一つ目。ピュリッツァー賞を3度受賞している米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンが書いた記事です。
以下、内容の要約です。
- ソ連崩壊後、ロシアは市場主義化、民主主義化を進め、西側諸国に対して友好的な姿勢をとっていた
- にも拘わらず、米国は「ロシアは西側を攻撃しようとしている」という恐怖・妄想に取りつかれ、NATOを東方に拡大&軍備化を進めた
- NATOの東方拡大&軍備化に反発したロシアがウクライナに侵攻
- ロシアがウクライナに侵攻するきっかけを作ったのはNATOである。したがってNATOは無実の傍観者ではない
このように、NYTはNATOの政策も批判しているわけです。
記事②:ウクライナの政策に対する批判
もう一つはウクライナの政策についてです。
皆さんご存じの通り、ウクライナでは現在「18歳~60歳男性は出国不可」になっています。
それについて、NYTは、「性差別だ」と批判しているのです。
女性だって戦っている人がいるし、せめて「両親どちらかを出国禁止」にしてはどうか、と訴えています。
NYTは、ウクライナの政策の妥当性も問うているわけです。
日本のメディア
日本のメディアは、「ロシアは嘘つき、経済的圧力をかけろ」と言っているだけです。
読売新聞の記事
露の言論統制 プーチン氏の嘘は通用しない : 社説 : 読売新聞オンライン
原発が標的に プーチン氏は正気を取り戻せ : 社説 : 読売新聞オンライン
読売が言っているのは、プーチンは嘘つきでかつ正気ではない、ということです。
朝日新聞の記事
ウソを意図的に流すロシア 生物兵器をめぐるプロパガンダと長い歴史 [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル
病院や原発への攻撃「戦争犯罪の可能性」 プーチン氏を逮捕できるか [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル
朝日が言っているのは、ロシアは嘘つき、プーチンを逮捕せよ、です。
日経新聞の記事
面倒なので記事は載せませんが、言っていることは読売や朝日と大差ありません。プーチンの言っていることには根拠がない、経済的に圧力をかけろ、と言っているだけです。
自分には、日経は米国にこびへつらって、対立をあおっているようにしか見えません。
日本のTV局
詳細には触れませんが、日本はTV局も同じように西側に偏っています。「ロシアの言っていることは根拠がない」「圧力をかけろ」などと言っているだけです。
日本は新聞もTVも、西側に偏っているわけです。
戦時中こそ、多様な意見を
自分は、問題解決には、多様な意見が必要だと思います。ウクライナ侵攻でいえば、戦争終結もしくは停戦のためには、西側の視点だけでなく、ロシア側の視点も必要だということです。相手の意見を無視した外交など上手くいくはずがありません。
米国で国務長官を務めたキッシンジャーも、「プーチンを『悪魔的な存在』と呼ぶことは政策ではなく、それは政策がないことの証明」にしかならない、「終戦には両陣営が不満を持つ解決策が必要だ」と述べています。(出所:キッシンジャーが“8年前”に提言「終戦には両陣営が不満を持つ解決策が必要だ」 | 「良い政策」とは危機を終結させる政策 | クーリエ・ジャポン)
太平洋戦争中、日本は「総員玉砕せよ」「鬼畜米英を撃滅せよ」などと言って、戦争一色になり、たくさんの死者を出す羽目になりました。もしあの時、降伏という選択肢をもっと検討できていたら、いったい何人の命が助かったのでしょう。
戦時中こそ、多様な意見が大切なのです。