民主主義とは何か?問題点や課題は?わかりやすく!
最近ロシアがウクライナに侵攻していますが、良くこのウクライナ侵攻に関して、西側の民主主義諸国から聞こえてくるのが、「自由と民主主義のための闘いだ!」という声です。
この「自由と民主主義のための闘いだ!」という声には、民主主義こそが素晴らしい政治制度で、他の政治制度は良くないものだ、という前提が見え隠れします。
今日は、民主主義に関連して、本当に民主主義は良いものなのか、民主主義肯定派と否定派の見解を解説したいと思います。
目次
民主主義肯定派
民主主義肯定派で最もたる人物といえば、自分はフランシス・フクヤマが思い浮かびます。
このフランシス・フクヤマが、1992年に「歴史の終わり」という本を書いています。
この「歴史の終わり」の中で言っていることが、なかなか大胆です。
曰く、歴史上、様々な政治制度が存在したが、政治制度をめぐる世界の歴史は、民主主義の勝利によって終わると主張したのです。
自分なりに少しかみ砕くと、ソビエト崩壊によって民主主義陣営の勝利が濃厚になってきたため、民主主義以上に優れた政治制度は存在せず、これ以上、政治制度の進化は起きない、と主張したということかと思います。
つまり、民主主義の勝利こそが、世界史という名の映画のエンドロールであり、世界史という名の小説の最終ページだという意味で、「歴史の終わり」だと言ったということでしょう。
これから見ていく民主主義否定派の意見を考慮すると、本当に民主主義の勝利が「歴史の終わり」なのか、疑問の余地があるような気もします。
民主主義否定派
民主主義否定派としては、プラトン、科学哲学の世界の専門家主義者たち、三島由紀夫の3名もしくはグループを紹介したいと思います。
プラトン
民主主義否定派として恐らく最も有名なのが古代ギリシャの哲学者プラトンでしょう。
プラトンの民主主義に関する要旨は以下になります。
- 人間の徳は3つ。知恵、勇気、節制である
- それぞれ、知恵は哲学者、勇気は軍人、節制は民衆が持っている、もしくは持つべきものである
- 政治は、知恵のある哲学者が行うべきであり、戦争は、勇気のある軍人が行うべきであり、民衆は節度を持ってその国で暮らすべきである
- 民主政治というのは、本来は節度を持っているべき民衆が政治に参加することであり、知恵のある哲学者が政治を行ういわゆる哲人政治よりも劣った政治形態である
つまり、プラトンは哲学者が政治を行う哲人政治こそが望ましいと考え、民主政治はそれに劣るものだとしていたわけです。
なお、プラトンの時代の哲学者というのは、現代で言うところの有識者や学者といった意味合いです。
現代でも、ポピュリズム等民主主義の問題点が指摘されていますが、言われてみれば、多数決で決まったことが、正しいと言える根拠などありません。
多数決をするよりも、知恵のある人物に政治を任せた方がよい、という考えは、現代においてもまだ検討する価値のあるものだと感じます。
科学哲学の世界の専門家主義者たち
科学哲学の世界では、「科学的知識は他の日常的・一般的知識とは異なる特別なものなのか」という点が昔から議論されているのですが、その問いかけに対して「科学的知識は特別なものであり、政治は市民参加よりも、科学者による参加の方が重要である」と主張する専門家主義者がいます。
科学者や専門家が政治を執り行うことが重要だと主張しているわけです。
三島由紀夫
三島由紀夫というと、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた頭のおかしい文豪というようなイメージが付きまといがちですが、死の数カ月前に産経新聞に『果し得ていない約束』という文章を残していて、戦後民主主義に触れ、日本の将来を高い精度で予想しています。
以下、一部引用です。(出所:三島由紀夫の「からっぽな経済大国」論 - tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」)
「二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である」
※書かれたのが1970年ですので、25年前というのは、終戦の年です。また、バチルスというのは、ウィルスのことです
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」
つまり、ここで言っているのは、戦後に米国から強制的に輸入された民主主義というものが、日本に巣くっていき、経済偏重になり、日本の文化が消え去っていくことへの危機感です。
この民主主義批判、米国追随批判を形にできるのは自衛隊だと三島由紀夫は考えていました。だから、市ヶ谷駐屯地に行って、自衛隊員たちに演説をしたのです。
市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫の話を聞いた者はほとんどいなかったとよく言われますが、三島由紀夫の懸念、日本が「或る経済的大国」になってしまうという懸念は、恐ろしいほどに的中しているように思います。
肯定か否定かよくわからない人(おまけ)
第2次世界大戦時にイギリスの首相を務めたチャーチルは、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」と言っていたそうです。(出所:https://kadobun.jp/trial/851.html)
自分は、このチャーチルの発言は、民主主義は今までの政治体制と比べたら良いが、それでもまだまだ悪いところはある、という意味で解釈しています。
まとめ
現代社会においては、民主政治があたかも最良の政治体制であり、これ以外の政治体制は低レベルだとでも言うような風潮がある気がします。
しかし、見てきたように、西洋哲学の祖と言われているプラトンは民主主義よりも哲人政治の方がよいと言っていましたし、三島由紀夫は、日本文化の衰退という視点から、戦後民主主義を批判していました。
もちろん民主主義にもたくさんのいい面はあると思うのですが、それを絶対視しないでほしい、というのが自分の思いです。